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2016年6月26日日曜日

通訳者が「資料ください」としつこくお願いする理由 その1

「だから資料が本当はあるのに出さないなんてもってのほか」

通訳が「資料ください」と「しつこく」お願いする理由について。

つい最近、同僚と会って話をしていて出てきたのですが、二人揃って啞然、愕然、呆然としたのが、

「資料なしで準備ができないならプロ失格」

と思っている人がいらっしゃること。



先日「日本の食文化紹介 和菓子」で書かせていただいた「最中」を例にすると、

私もたまにいただきますが、だからといって何で出来ていて、どういう工程で作られているか、

なんて、いつも意識しながら食べているわけではありませんよね。


日本語で聞いたらそのままわかる(ような気がする)けれど、

それを自分の言葉で(日本語同士で OK)説明できるかというと、これはまた別の問題です。


その場で当てられたら、とっさに説明するなんてことは、普通はできません。

でも通訳するときは、それではいけないわけです。



だから、準備をしておかないと。準備、つまり「資料ください」です。

このように、通訳者が「事前に」「資料をください」と「しつこく」お願いするのにはちゃんと理由があるのです。

たくさんある中でほんの一握り紹介するつもりで説明したいと思います。

準備=資料が大切な理由のひとつに通訳作業の特徴があります。

ご存知のように、通訳は聴いた言葉
つまり、耳に聞こえてきた言葉を処理するので、事前に馴染んでいない言葉が発言者の口から突然飛び出すと、

他のお仕事をされている方なら思いもよらないことかもしれませんが、

「キザト?? 字は何 ?」 となって立ち往生してしまう危険性がある。

そこへ持ってきて、発言者一人一人個性がある。クセがあるので余計に負荷がかかります。

声の小さい人、滑舌が曖昧な人、地方訛りや外国語訛りがあったり。早口や、非常にハスキーな声の人もいます。

発言者が発言の途中で気が付いてマイクをつければ当然ある語の途中からしか聞こえません。

発言中、紙を触ったりペンを無意識にカチカチしたり、指をテーブルの上でカタカタ鳴らす人もいます。マイクから近い(!)

キーボードを叩く音などもそうですが、こういう音、マイクはすごく拾うんです。人間の耳とは感知の仕方が違うので。

大事な話よりも大きい音で拾ってしまうことが多く、耳障りでしょうがない。プルタブを引く音なんてもってのほか。

それに、同時通訳でブースにいたら話者から物理的に遠く、対面で通訳をしている時とは違い、訊き返すことができないので、余計に困ってしまいます。


話し手にとっては当たり前のことは、
決して他の人にとっても当たり前のことではありません。


学会や特定のスポーツのファンが集まっている場(テレビ番組など)であれば、

話し手はもちろん、聞き手にとっても当たり前かもしれませんが、

それが通訳者にとっても「すでに」当たり前かどうかは別の話。

どこぞの会社の社内用語だったらなおのことです。



でもこれが実によく登場するんですよね。

完全に内輪ネタですから、ちゃんと事前に解説しておいてもらえなければ、外から呼んだ通訳には対応できなくても当然のこと。



下調べをして、学習(予習?)しておき、「生砂糖」は 

Kizato, which means raw sugar in Japanese  などと解説しながら通訳を進めるわけです。

こういうことがとても多いのです。





(Photo:http://www.jcfl.ac.jp/course/curriculum/a-k.html)

2016年6月19日日曜日

日本の食文化紹介 和菓子 その3 対訳例について


前回の記事で掲載させていただいた対訳リスト(下方にもあります)ですが、

すでにお気づきの方もいらっしゃることとおもいますが、

そうです。 「日本語(原語)が短いのに、対訳の英語がうんと長い」 のです。

それは主に、対訳の英語が「お茶請け」など語の説明になっているからですが、それは、たとえ日本ではおなじみのコンセプトでも、外国ではまったく馴染みがないからです。

同様に、イギリスではおなじみでも、日本ではまったく馴染みのないことはたくさんあります。
(はっきり言って、そんなもの「だらけ」だと思います。)

だから、訳出が説明を伴っていないと、聞いている人は何のことだか理解できないのですね。

「足さない、引かない」というフレーズをご存知でしょうか。

原文や原発言に対して、訳すときに足すことも(Addition)、引くことも(Omission)、曲げること(Distortion)もしないこと。翻訳でも通訳でも、重要な指針です。

米原万理氏の著書『不実な美女か、貞淑な醜女か』というタイトルにもあるように、アウトプットがoriginalに忠実かどうか云々は永遠のテーマですね。

なぜこの話を出したかというと、これは足したことにはならないと思うからです。

表面的に言葉を置き換えても「通じない」。

そして、通じなければ意味がないわけですから。

(詳しくはセレスコビッチ(Seleskovitch)の「意味の理論(the Theory of Sense a.k.a. the Interpretive Theory of Translation)」を参照)


お茶請けOchauke - snack to go with tea like teacakes
上生菓子 high-grade Japanese fresh/wet confections
主菓子 Omogashi - main sweets (wet sweets)
打ち物 Uchimono - malded dry confectionery
自然薯wild yam
和三盆 Wasanbon sugar - Japanese traditional refined sugar that is very sought   after
生砂糖(きざと)raw sugar
おうす(a) weak infusion of powdered tea
落雁 dry confection of startch, soy etc. pressed into a pattern
求肥 sweetened mochi
栗きんとん mashed sweet potatoes with sweetened chestnuts
おしるこ sweet soup like food made with Azuki beans
最中の皮 delicate and crispy sweet rice crackers
丹念に carefully / with great care
刻む carve / chisel / mince / finely chop
練る knead / temper
漉す purée /mash and filter out impurities
煮詰める simmer away / reduce / concentrate
見て楽しむ enjoy viewing / watching
詫び寂び aesthetic sense in Japanese art emphasising quiet simplicity, called WabiSabi
研鑽を積む devote oneself to their [study] for many years

などなど…。


それから、上の表ですが、スラッシュで区切ったものは「このうちどれでもいい」ということではなく「context  (文脈)に合わせて随時選択」するというつもりで訳語を出してあります。

各単語(英語)の意味やニュアンスが異なるので。

「突貫工事の対訳」では当然納得がいかず、後日「練り直した」ものもあります。
※上に載せたものは練り直したものではありません。

例えば「求肥(ぎゅうひ)」がそれですが、「sweetened mochi かぁ、甘くした餅」じゃあピンとこないなぁ、と。

うんうん言っていると、ひらめきました!ちょうどイギリスには似ているものがあることに気づいたのです。Turkish Delight というお菓子です(トップの写真)


求肥(Gyuhi) の Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Gy%C5%ABhi) の説明(英文)も参考にして…

"Gyuhi - a softer variety of mochi, which is made from either glutinous rice or its flour, similar to Turkish Delight"   

…と、ここまで言う時間的余裕があればいいですが。

逐次ならともかく、同時通訳なら無理だろうなぁ。

もし、自分がここで同時通訳だったら、瞬時にどう対応するか。

悩みは尽きません。

というわけで、今回はこの辺で。

お読みいただきありがとうございました。

2016年6月13日月曜日

日本の食文化紹介 和菓子 その2 お約束の対訳例をUPしました。


前回の「日本の食文化紹介 和菓子」で、友人宅へ行く途中、電車で移動中、
日本文化を紹介する依頼が急に入ったというお話をしました。

友人宅へ遊びに行って翌朝ゆっくり好きな時間に帰ってくるはずが、翌朝仕事になってしまい、往復の電車の中で「iPhone とにらめっこしながら一夜漬けならぬ付け焼き刃もいいとこ、突貫工事で捻り出した」のですが、そのときの「突貫工事の対訳例」がこちら↓

お茶請け Ochauke - snack to go with tea like teacakes
上生菓子  high-grade Japanese fresh/wet confections
主菓子  Omogashi - main sweets (wet sweets)
打ち物  Uchimono - malded dry confectionery
自然薯 wild yam
和三盆  Wasanbon sugar - Japanese traditional refined sugar that is very sought after
生砂糖(きざと) raw sugar
おうす (a) weak infusion of powdered tea
落雁  dry confection of startch, soy etc. pressed into a pattern
求肥  sweetened mochi
栗きんとん  mashed sweet potatoes with sweetened chestnuts
おしるこ  sweet soup like food made with Azuki beans
最中の皮  delicate and crispy sweet rice crackers
丹念に  carefully / with great care
刻む  carve / chisel / mince / finely chop
練る  knead / temper
漉す  purée /mash and filter out impurities
煮詰める  simmer away / reduce / concentrate
見て楽しむ  enjoy viewing / watching
詫び寂び  aesthetic sense in Japanese art emphasising quiet simplicity, called WabiSabi
研鑽を積む  devote oneself to their [study] for many years

などなど…。


すでにお気づきの方もいらっしゃることでしょう。

「日本語(原語)が短いのに、対訳の英語がうんと長い。」



そうなのです。

でも、こういうことはよくあります。

逆もまたしかりです。


その理由はまた次回に。


(Photo: http://morichan37.com/?page_id=2523)

2016年6月5日日曜日

日本の食文化紹介 和菓子



きれいですよね。和菓子って、素敵だなとおもいます。

昨年の秋、ラグビーワールドカップイングランド大会と時を同じくして日本を紹介するシリーズイベントがありました。

その中の食文化を紹介する小イベントで和菓子の紹介を通訳する機会を得ました。

通訳仲間から連絡が入ったのです。
それは泊まりの外出先へ移動中の電車の中でした。

それで、その仲間に「いつ?」と聞けば「明日の朝」とのこと…。会場が自宅から目と鼻の先ほどの近場だったこともあって声を掛けてくれたのでしょうか。

あいにく、その日に限って泊まりで遠出中だったのです。

しかし「直前だからなんとかお願い!」と頼まれ、翌朝には帰ってくる予定であったので、断るわけにはいきません。

翌朝ゆっくり帰るつもりを急いで切り上げることにして、エイヤッと引き受けました。

が、コンピュータもなければ、ケータイの通信すらおぼつかず、何より出先ですからWiFiが使えません。

しかもお出かけ中だったんだから資料らしきものなんかひとつもない…。イギリス国内とは言えど、海辺に近い(つまり文明品がない)のどかな場所だったので。

話題は和菓子。職人さんが実演をしながら説明するのを通訳するのです。

和菓子といえば、なじみはありましたが、もっぱら食べることが中心。作ったり説明なんて想定したことがない。

その歴史や精神、詳しい作り方や材料については詳しいとは嘘にも言えず、この時ばかりは茶道の心得でもあれば、きっと助けになっただろうにと悔やまれました。

でもなんとか乗り切らなければなりません。観客を前に実演で和菓子を通訳するとなると、英語でなんと表現したら良いものやら…。

私はじつはお菓子を作るのが好きな方なのですが、それもケーキやらパイやらと洋菓子で、和菓子の道具や材料、作る時の手順や動作について詳しくないんです。

でも、その「心」を伝えねば。

ネットは繋がらないし、翌朝本番だし、でもなんとか出来る限りの準備をということで、頼れるものはiPhoneだけ。しかも時間は電車が到着するまで。途中何度もネットが途切れつつ…。

調べ物をして、準備をする機器としては小さい。このiPhoneの画面とにらめっこしている私の様子は周りの人にはきっと鬼気迫るものがあったでしょう…鬼のような形相だったに違いありません(苦笑)

お茶請け
上生菓子
主菓子
打ち物
自然薯
和三盆
生砂糖(きざと)
おうす
落雁
求肥
栗きんとん
おしるこ
最中の皮
丹念に
刻む
練る
漉す
煮詰める
見て楽しむ
詫び寂び
研鑽を積む

などなど…

どうでしょう、これらの言葉サラッと英語になりますか?

いやぁ私はサラッと納得のいく表現は出てきませんでしたね。

それでもわかりやすく、素早く伝わる表現を考えて、頭に入れなければならない。

私がiPhoneにらめっこしながら一夜漬けならぬ付け焼き刃もいいとこ、突貫工事で捻り出した対訳例。

次回はそれをご紹介しますね。


通訳という不思議な職業…?番外編

http://www.tvdsb.ca/programs.cfm?subpage=226723

いつも楽しく読ませていただいている『日本とアメリカで働く翻訳者のブログ』。

そのなかの「謎の職業?翻訳者」と「翻訳者と通訳者の大きな違い」という2つの最近の記事。
これを受けて通訳の視点から書いてみました(はなさんにはご了承をいただいています)。

通訳という不思議な職業 入門編」「上級編」と書いてきて、今回は第3弾「番外編です。」

「通訳は時間が勝負です、翻訳は正確さが勝負です。」 ― そう、締め切りまでは時間がある翻訳と瞬間的にその場でアウトプットしなければならない通訳。

テレビで収録されて放送される番組と生放送の番組と、二種類あって、その二つで制作面が全然違うのと似ています。

通訳のパフォーマンスについて、正確さが勝負でないかと言ったら、もちろんそんなことはありません。通訳のクォリティを評価する際に基準となる軸。

ちょうどダイヤモンドの4Cのようなものがあるのですが、正確性や完全性などが含まれています。

ですから、正確さに関しては、非常に重要な要素であることに変わりはありません。

永久保存版として残ることが前提の翻訳と、瞬間の芸術(?)である通訳とでは、その影響の仕方は同じではないかもしれませんが。

通訳も翻訳もやるけど得意が分かれるというのは、その通りだと思います。はなさんがおっしゃっている「通訳は大まかに大胆に、翻訳は緻密に細かく」というのも、一言で言えばその通りだ、と思います。

もうひとつは、人と接するのが好きな人とあまり好きではない人で「好み」というか、得意不得意が分かれることがあります。

短距離一か所集中型で業務が終わったらさっさと家に帰る、あるいは呑みに行く!ようなオンオフが明確にあるのも翻訳の仕事とは違う点。

翻訳は納品してクライアントから終了を言い渡されるまでは、なかなかそうは行きませんよね。

得意不得意で言えば、その働き方の好みや適性で分かれると言えるかもしれません。

翻訳では「永久保存版」を想定して仕事をするという話が出たので、触れておこうと思いますが、ここ数年(もっと前からかもしれません)これについては翻訳の話だけではなくなってきています。

昔から、文芸翻訳などでは、ギャラの支払い形態(契約)を「買取」にするか「印税」にするか、ふたつから選ぶということがあったわけですが、通訳には「印税」というのは縁遠い話のようでした。

それが、事情が大きく変わってきたのはここ数年のこと。

インターネット上に様々なメディアが登場したこと、またICレコーダーはもちろんiPhoneのようなデバイスなど、録音機能を備えた機器が持ち運びやすい形で手に入るようになったことから、通訳音声(映像)が録音される場面が増えてきたのです。

これについては別の記事で特集しようと思っているので、ここでは詳しくは書きませんが、通訳に無縁のことでなくなってきているのは確かです。

なので、「泣いても笑っても言いっぱなし。その場で終わり。」は、そうでもなくなって来ているのが現状。ある程度は今でも「そうだ」と言えますけどね。

国際会議などで議事録代わりに録音されることはもちろん、聞き取り調査の案件、ラジオやテレビ番組のインタビューの録音・録画、さらにそういった番組の半永久的な二次利用(YouTubeなどにアップする)など。

それ以外にも録音されるケースはとても多く、「ほぼ一般的」になってきていると言えるでしょう。これはこれで新たな問題を生み出しているのですが。

それを考えると「その場で終わり」とも言っていられなくなって来ました。
瞬間の芸術(芸当?)から「残る」ものへとシフトしていると言えるかもしれません。

もうひとつの大きな誤解として挙げておきたいのが、「通訳なら誰でも同じだろう?言葉を置き換えるだけなんだから」 というもの。

この誤解自体は新しくも何ともありませんが、新しいのは展開とその規模です。

「法廷通訳でも IR でもやることは同じじゃないか」― そういう誤解が蔓延しているからトラブルが絶えないのです。イギリスに至ってはこんなありがちな単純な誤解が国規模のトラブル(Guardian記事)にまで発展しています。

国が下請けに出している企業(要するに通訳・翻訳エージェンシー)が罰金を科せられるケースも。

場が裁判なのか、ビジネスなのか、などによっても通訳の役割や、その定義が同じではありませんし、「やっていいこと」と「いけないこと」。もっと言えば「この場合はぜひやるべき」ことが別の場では「決してやってはいけないこと」になっていることも。

わかりやすく言うと「T.P.O.」のようなものがあって、それによって倫理・行動規範も、異なるのに「通訳ならみんな同じ」と思ってしまう。

そこに大きな落とし穴があるのはNataly Kelly著「Found in Translation」で枚挙にいとまがない。

医療分野のみならず、イギリスの法廷通訳の問題など、公益部門には重要なポイントとして、同書からの以下の引用をもってこの記事を終わりたいとおもいます。

お読みいいただきありがとうございました。

[T]he costs to the entire healthcare system are higher when interpreters are not used. When language barriers are present, medical errors are more common...when language barriers exist and no interpreters are available, healthcare providers are more likely to order expensive diagnostic tests to determine what is wrong with patients and monitor their care for longer periods than necessary, resulting in excess spending.

(筆者訳:通訳を使った時よりも、使わなかったときのほうが医療システム全体のコストが高くつく。それは、言葉の壁があるときには、医療ミスがより起きやすいから。(中略)[さらに]言葉の壁があり、通訳者が手配できないときには、医療従事者は患者の問題を特定するために高額な診断テストを施したり、必要以上に長く経過を看たりする傾向が強いため、結果としてコスト超過を招く。)



2016年5月29日日曜日

通訳という不思議な職業…?上級編

いつも楽しく読ませていただいている『日本とアメリカで働く翻訳者のブログ』。

そのなかの「謎の職業?翻訳者」と「翻訳者と通訳者の大きな違い」という2つの最近の記事を受けて、通訳の視点から書いてみました。(はなさんからは了承をいただいています)。

「通訳という不思議な職業?上級編」ということで「入門編」の続きです。

「翻訳者さん?じゃあ、アメリカに行ったときに通訳して!」と言われるという話ですが、通訳者がその逆(「〇〇に行ったときについでに翻訳して!」)と言われることはさすがにないですが、それでも「ついでに翻訳してもらえます?」と訊かれることは、結構あります。

これ、困るんですよね。例えば、以前、法律事務所で刑事裁判の抗告の案件でバリスタ―(barrister = 法廷弁護士)と被告との打ち合わせを通訳したとき「これ翻訳しといてくれる?」とバリスターに言われたことがありました。裁判なので書類をたくさん前にしての打ち合わせです。もちろん「通訳倫理上できません」とお断りしましたが、バリスター当人はキョトンとしていました。

LEP(限定的英語熟達者、この場合日本語話者のユーザー)がバリスターが引用しながら説明する内容についていけるように、通訳者はサイトラという書かれた文章を口頭でアウトプットすることはしますが、書面から書面である翻訳作業はしてはいけないことになっています。

「アナウンサーと作家ほども仕事の内容が違う」というのはほんと、すばらしいアナロジー。私も、この通りだと思いますね。通訳では走りながら考え、考えながら走るけれど、翻訳はそうではない。その分、翻訳という作業は比重の高い表現を練り上げる仕事、という印象があります。

それから「英語を日本語に置き換えるだけ」じゃない話は、もちろん通訳も同じです。

前のブログ(通訳という不思議な職業~入門編)に挙げた「記憶にとどめる」ことが追加負担であることはもちろん、意味を伝えることが、表面的に語を置き換えることよりも大切なのは言うまでもないと思います。映画の英語版と日本語版で「Broccoli」がピーマンになったと紹介されているのと同じように、そうでないとその場で通じませんから。

通訳も翻訳もやるけど得意が分かれるというのは、その通りだと思います。はなさんがおっしゃっている「通訳は大まかに大胆に、翻訳は緻密に細かく」というのもあると思います。

人と接するのが好きな人とあまり好きではない人で「好み」というか、得意不得意が分かれる場合もあれば、短距離ランナー型、一か所集中型で業務が終わったらさっさと家に帰る、あるいは呑みに行く!のようなオンオフが明確にあります。

翻訳は納品してクライアントから終了を言い渡されるまでは、なかなかそうは行きませんよね。その働き方の好みや適性で分かれると言えるかもしれません。

通訳と翻訳の違いで意外なものとしては、職業保険の保険料が違うこと。基本的に家で作業する翻訳者と違い、通訳者はいつも外出します。今日はここ、明日はあそこ、と仕事場所もお客さんもいつも違う。国をまたいで移動することも多いので翻訳者よりも保険料が高い。←私の場合

現在の保険に入るとき、Translatorとして見積もりを出されたので「念のためInterpreterで調べなおして」と言ったところ、保険会社の担当者も「金額が違いました、私もこれまで知りませんでした。」と驚いていました。

たしか、日本では課税方法も違ったと思います。源泉徴収される場合とされない場合がありましたよね。どちらがどちらか忘れましたが…。

Photo: http://www.123rf.com/photo_27157317_translation-and-interpreting-love.html


(つづく)

2016年5月22日日曜日

通訳という不思議な職業…?入門編


いつも楽しく読ませていただいている『日本とアメリカで働く翻訳者のブログ』。

そのなかの「謎の職業?翻訳者」と「翻訳者と通訳者の大きな違い」という2つの最近の記事。

これを受けて通訳の視点から書いてみました。(はなさんにはご了承をいただいています)

このブログオーナーのランサムはなさんとは面識があり、尊敬する翻訳者さんです。

はなさん、これから通訳の勉強をされるんですね!がんばってください。応援しています!

それでは、さっそく書いていきたいと思います。

まず、はなさんが異業種の方々と交流していてほとんどの方に言われるという「翻訳の人って、今まで会ったことがない」というもの。通訳はどうでしょうか。

翻訳と違い、あまり家でやる仕事ではないので、私個人の経験ではさすがに言われたことがないですが、翻訳と通訳とを同義に思っている人が多いのは確かです。

通訳の場合、仕事を通して人と会うことが多いので、上記のやり取り自体があり得ないということもあるかもしれません。

それでもオンラインなどでフォームに記入するときなど、職業や業種を選ぶドロップダウンメニューの中にいまだに含まれていないところを見ると、両方とも、やはり知られていない、誤解されている職業なのかもしれません。歴史の古い仕事なんですけどね。

通訳で圧倒的に多い勘違いは「英語(他言語)が話せればできるんでしょ?」と思われていることです。日本(人)にはまだまだ日本語しか話さない人が多いから通訳が必要だけど、みんながもっと英語が話せるようになれば、通訳なんて「この世からなくなる仕事だ」と思っている人の多いこと!

さすがにこれを面と向かって言われることはないですけれど、相手がそういうふうに考えている時、いくらなんでもわかりますよ。

通訳という仕事に対する誤解の中で、声高に言いたいと常日頃思っているのが、通訳するスキル=外国語が話せる「ではない」こと。

通訳するときに必要なスキルの中でつくづく忘れられているな、と思うのは「記憶保持」。

通訳とは、平たく言うと、話されたことを順番通りに、理解し、覚えておき、もう一つの言語で再現するという作業ですから「正確に」「覚えておく」というスキルが「ものすごく」大切なのです。

どうでしょうか、外国語を勉強するとき、書く・読む・聞く・話すの4スキルは練習するけれど人のスピーチをそっくりそのまま「記憶する」練習なんてしますか?しませんよね? 

学生時代にE.S.S.に入っていたのですが、そのスピーチ委員会に入っていた人たちはキング牧師の「I have a dream」のスピーチを毎日毎日練習して、マントラのように唱えて丸暗記するまでやっていました。そのような場合はともかく、普通に語学を勉強するときに、人の話を要素を漏らさず「再現するつもり」で聞いている人はいないと思います。

記憶保持(リテンションと言います)のスキルだけについていえば、外国語スキルとは関係がなく、単一言語でも練習ができる。通訳するにはなくてはならないスキルだけれど、外国語能力とは別の能力です。

翻訳と通訳で似ているところは、まず高度な語学力が必要なところ。「確かに英語は勉強しているから、知識はある…だけど、しゃべれるかどうかは全く別の話」 ― そう、聞いてわかるのと同じレベルで話せるかと言ったら、そうじゃないのは、中学高校大学と10年も勉強してきたのに英語が話せない人が圧倒的に多いことからも明らかですね。

それでも、聞く分にはある程度はわかるという人も多いはず。ところが、それと同じくらい話せるかというと、そうではない。受け身の力だからです。

「英語がしゃべれない翻訳者は実はたくさんいる」というのも本当に翻訳者同士では珍しくもなんともない話で、通訳者だってこのことは知っています。

それから「辞書なんていらないでしょ?」と思われるのは通訳者も同じで、いきなり「○○って何(ていうの)?」と出し抜けに辞書代わりとばかりに質問されることも少なくありません。

コンテクスト(周辺情報)なしでは特定できないのは翻訳も通訳も同じですよね。

photo : slideshare.net

(つづく)

2016年5月15日日曜日

エージェントは競争相手か?



つまり、直接のクライアントを持つ翻訳者にとって、エージェントは競争相手か?
さらには、エージェントにとって、直接のクライアントを持つ翻訳者は競争相手か? 
という問いに対して。

フリーランスで仕事をしていますが、クライアントが直接のお客様の時もあれば、エージェントの時もあります。

結論から言うと、直接のお客様がいるからといって、エージェントのことをライバル、競争相手だとは思いませんし、エージェントから見ても、直接の顧客を持つフリーランスが競合であるべきだとも思いません。

選択肢が増えるということは市場にとって好ましいことですし、業界にとってもポジティブなことだと思います。

実を言うと、何年か前、直接の顧客を持ったり、ウェブサイトを持ったりしてそのことを告知することは、エージェントを敵に回すことになるのではないか、そんな心配をしたこともありました。

今はそのようなものではないのではないか、構図である必要はないし、そうではないんだな、と思うに至りました。

それは、案件によって、個人に適したプロジェクトと、エージェントに適したプロジェクトがある、と思うからです。

フリーランスになってしばらくは、エージェントからのお仕事がほとんどでした。

非常に大きなボリュームのものを大勢で手分けするというプロジェクトにも関わらせていただき、そのおかげで、大変勉強になりました。


そういった経験は、個人で終始対応するタイプの仕事では、まず得られません。

このように、エージェント経由のプロジェクトから翻訳者が得られるものは大きいものです。

では、個人、つまりフリーランスの依頼に適したプロジェクトには、どんなものがあるか。

まず、英語から日本語など、対象言語が単一で、量も小~中規模の場合は個人のほうが「取り回し」が小さくて済む分、コミュニケーションが単純化される。時間も労力もセーブできるので効率的だと言えると思います。

一方、エージェントへの依頼が適したプロジェクトは、個人ですべてまかなうことが不可能なもの、あるいはそれに向いていないものだと思います。

例えば、多言語化プロジェクトで、ボリュームが相当にある場合、言語をまたいだ統一感や統一性が求められます。

表記や表現などが統一されているかどうかは、翻訳のクオリティの良し悪しを左右する基本的な部分ですから。

専任のプロジェクトマネージャーがスタイルガイドをまとめたり、チェック作業を行う。それらを含めた一連のプロセスを一か所でまとめられるエージェントを利用するのが効果的だと思うのです。

また、ボリュームの大きな案件はどうか。個人で対応しきれるか。

これは納期に余裕があるのであれば、ひとりでも対応が可能だと思いますが、納期が悠々としている案件は少ない。つまり、量に対して納期がタイトなのであれば、手分けする必要が出てくるでしょう。

その場合、訳語や表現の統一など、品質管理が単独の翻訳者の場合に比べて、複雑になるので、その点に関しては注意が必要だと思いますが…。

では、納期は短く、量は多いので「それでは即エージェントに依頼!」かというと、残念ながら話はそれほど単純ではありません。

エージェントでも、対象言語に対応できるプロジェクトマネージャーを抱えていないところでは、たとえ多言語に対応しているエージェントであっても、日本語に対応できるプロジェクトマネージャーがいるとは限りません。

それなら、日本語を目標言語(アウトプットされる言語)にしている翻訳者でチームを組み、そのチームのなかでコーディネーターを決め、プロジェクトマネージメント、品質管理を行う方が賢明ではないか、と個人的には思います。

反対に、直接のクライアントの仕事であれば、中継点が少ないため、コミュニケーションの時間短縮が長所のひとつ。

その一方で、情報のやり取り、ファイルのやり取りやデータの保管など、その点におけるクライアントの不安材料を取り除く努力、エージェントが担っている責任を、直接自分が担うという認識を備えるなど、意識的な努力が必要になることも。

結局、直接のクライアントを持つ翻訳者にとって「エージェントは競争相手か?」

そして、エージェントにとって「直接のクライアントを持つ翻訳者は競争相手か?」

と考えてみましたが、私はエージェントとの関係は「競争相手」ではなく「パートナーシップ」だと思います。

2016年4月27日水曜日

同時通訳で使うヘッドホン(イヤホン)について 続編

ご無沙汰しています。

今年のはじめに同通で使うイヤホンについて、ヘッドホンを使っているがカナル型のイヤホンを購入したという話をしました(こちら)。

続編として今回は後日談をご紹介したいと思います。

慣れるのに時間がかかりそうでしたので、カナル型のイヤホンが自分にとって使いやすいかどうか検証すべく、しばらく使ってみたのですが、結果、どうなったかというと、カナル型(Sennheiser )はほとんど使っていません(苦笑)。

前述したオーバーヘッド型をまだ使っています。

ですが、オーバーヘッド型でも実は種類が若干増えまして、今は JVC と MONOPRICE の二種類を案件(環境)に合わせて使い分けています。







でも「もっとも手軽で使いやすいのは?」というと、ダークホース登場(下の写真)。


おそらくご存知だとおもいますが、Appleの新しいほうの標準イヤホン — EarPods 。じつは、これが使いやすさにおいては全然悪くない。

例のカナル型のイヤホン、値段がしただけあって音質などは申し分ないのですが、やっぱり耳に引っかけづらいんですよね。

ワイヤーが耳から下に垂れるのではなく、耳の上から耳の裏側に沿って下げてくるタイプなので、付け外しが素早くできない…。

「同通で使う」というのは、移動中に音楽を聴くのとは違い、繰り返し付け外ししますから、その動作の容易さも重要になります。

長時間あるいは連日にわたり聴覚を集中的に使用するので、負担がかからず、疲れにくいものであるかも大切なポイント。

重低音とかダイナミックレンジとか、はたまた移動中の密閉性(音漏れの迷惑問題)などはあまり関係がありません。

交通機関など公共の場ではなく、同時通訳は隔離されたブースで行われますし、美しい音質よりも聞き取りやすい音質(つまり雑音がなくクリアな話者の声)を求めるからです。

用途が違うという意味では、マイクに特長の違う種類があるのと似ています。

音ならなんでもかんでも拾おうとする収音角度が広いマイクと、収音角度が狭く歌声などを拾うのに適したマイクなど、いくつかのタイプがありますよね。

音楽を楽しむために使うわけではないので、むしろ通訳をする対象スピーカーの声だけを拾ってくれるイヤホンがあったら理想的と思えるくらいです。

つまり、話し声だけ拾い上げてくれるもの(そんなものがあればですが)、さらにノイズを遮断してくれるとか、疲れにくい形状をしているとか。

しなやかで壊れにくい、軽くて持ち運びやすい、意外なところでは「掃除しやすい」といったこともポイントになるとおもいます。

Appleの新しいタイプ、はっきり言ってAppleの古いタイプ(EarBuds)がスカスカで、仕事でつかえる代物ではなかったので期待していませんでした。

ところが、この新タイプのAppleの標準イヤホンは装着感がよく、それでいて外しやすい。

なので、片耳だけにしたいときも便利 — 同通の仕事中、自分の番でないときは、私は片耳だけにしてスピーカーとブースパートナーの両方を聴いていることが多いので。

さらに、こちらは軽いので持ち運びに便利で、コンパクトなのでかさばらない。
万が一、失くしたり壊したりしても、高くないので気が楽です。

それにしてもAppleのEarPodsとは。まったく期待していなかったので、自分でもかなり意外でした。
ひとつ難点を挙げるとすれば、iPhoneならiPhoneなどデバイス間で共有して使う分には問題がないのかもわかりませんが、録音に使うような機材・機器につないで使ったあと、iPhoneなどで使おうと思うと、接触が悪くなるようで片耳しか音が聞こえなくなってしまったりします。


また、音が二か所から出るので、ボイスオーバーで、元の音を聴きながら録音するときは便利です。

耳の中に深く挿し込まずに、ささやかに音を聞きながら、つまり片耳に当てるようにしながらかざすように持つ。二か所から音が出るので、そのうちの一つ(平らなほう)を塞ぐとちょうどいい効果が得られます。

一つ難点があるとしたら、iPhoneやiPadといったアップル製品以外に使うと、iPhoneにつなぎなおした時に接触が不安定になることがあること。

ステレオを音楽を聴くだけでなくTVにつないだりすると不安定になるトラブルと似ています。

それでも、いくつかのブース用同通コンソールで使用してみましたが、接触不良はありませんでした。私個人の経験ですが、あくまでiPhoneに戻した時に起こる問題のようです。

ちなみに、耳から少し離れていると、高感度の録音用マイクがイヤホンからの音を拾ってしまうことがあるので、そこは注意が必要です。

調べによると、Appleでは骨伝導技術を使ったワイヤレスのヘッドホンを開発中だとか。Bluetooth対応らしいですね。

ノイズキャンセリングにもこだわったものとのことで、発売が期待されますが、ワイヤレスでは同通のコンソールでは使えなさそうですね…。Wiredバージョンもあったらいいかも。

というわけで、個人的に、これまでに挙げた三つの中では、やはりオーバーヘッドタイプが耳の負担が一番少なく疲れにくい気がします。

ただ、長時間だと頭が痛くなるし、持ち運びではかさばるので、会場の中などサッと荷物をまとめて移動したい時にはイヤホンのほうが身軽で良い。

書類、カバン、ヘッドホン、メガネに水(ペットボトル)を一緒に抱えようとして、雪崩のように床の上に崩れる…ということにもなりかねませんから。

3人体制のときなど、素早く席を換わる必要があるときにも、身軽なイヤホンのほうがスマートかもしれません。



2016年1月15日金曜日

私のスポーツ通訳の経験と言えば その①



ラグビーワールドカップ2015も終わり、4年後は日本大会ですね!

ニュージーランドの優勝、オーストラリア準優勝、3位は南アフリカでした。

今大会は日本チームが初戦の対南アフリカ戦から奇跡的な活躍をして、非常に見ごたえがありました。

感動の大躍進を果たした日本代表。その勇姿を見られたことは、自分自身に喝を入れ、奮い立たせるきっかけになり、大きな刺激になりました。

また、近年、国際社会における日本の存在感が急激に薄れていくのを、個人的にも目の当たりにしてきただけに、外交下手で気弱な日本の面目躍如!と、本当に気持ちよかったです。

さて、そんなことを言っている私ですが、じつはラグビーのルールがわかりません…。

一生懸命画面に食い入るようにして見ることは見るのですが、雰囲気にのまれて、それなりに盛り上がるのですが、じつはよくわかっていない…。

ラグビーワールドカップ、今回はイギリスでの開催ということで現地で通訳をしている同僚・先輩たちもかかわった人が数名いて、かなりエキサイティングな体験談も耳にしています。

私も直接2015年の大会にかかわったわけではないものの、2019年に向けたラグビー関連の案件は依頼を受け、幾分、親近感がわいています。

ラグビーをはじめとするスポーツにおける通訳経験と言えば、わたしはそもそも初めての通訳経験がスポーツだったのを思い出しました。

初めての通訳のお仕事は、99年のバレーボール・ワールドカップ、名古屋で行われた女子大会でした。来日していた大会役員・委員のうち、医療を担当していた役員のアテンド通訳を担当しました。

アテンド「通訳」と言ってはみましたが、それまで通訳という仕事は自分の視界に入っておらず、当然経験もなければ、訓練も受けていませんでした。

そもそも引き受けるつもりはなかったのですが「海外から代表団がやってくる、団体なので人手が足りない、経験がなくてもいいから手伝って!」という友人からの頼みだったんです。

「ちゃんとした通訳が必要な会長とか副会長は、経験豊富な通訳さんに頼むから大丈夫!だからお願い」と泣きつかれ、複雑な心境で現場に向かったのを覚えています。

ここでの経験があったからこそ今の私があるんだなぁ、と思います。
自分で言うのもなんですが、いろんな意味で面白い経験だったな、と。

現場での通訳体験もさることながら、いろんな意味で面白い経験だったとおもった事柄の一つとして、まず、当時デビューしたてだったジャニーズのグループ「嵐」のお話しをしようと思います。

1999年のバレーボールワールドカップ。人気グループ「嵐」がデビューしました。

彼らの華々しいデビューの裏側で、冷や汗をかきながら私は通訳デビューしました。

デビューはデビューでも随分差がありますねw…。

この「嵐」のデビュー、日本チームの試合があると毎回出入り口から嵐の面々が派手に登場するんです。V6坂本くんがコートの向こう側で司会みたいな、応援団長みたいなことをしてましたね。

今でこそ「嵐」のメンバーの皆さんも立派な成人男性、何本もレギュラー番組を持つ人気グループですけれど、当時はまだまだ…。なんていうか華奢で、なんていうか、こう言うのも何ですが、かっこいいというより、かわいらしい。男子というよりむしろ女の子かしら、という感じでしたよ(ごめんなさい)。

デビュー当時の年齢を調べたら16~19歳だったようなので、そんなはずはないのですが、スラリとしてて、もう、とにかく、男子高校生あたりのむさくるしさからはほど遠い、もしかしてまだヒゲだって生えてないんじゃないか、というような印象でした。

ほぼ毎日「あらしぃ、あらしぃ♪」でした。今でもあの歌は覚えてます。

各国チームの選手も同じだったのか、その歌を口ずさんでいる選手もいました。とくに、ブラジルの人気選手レイラ・バロスなんかは、しょっちゅう鼻歌みたいに歌ってましたね。当時、レイラはとっても人気がありましたよね。

通路を通るときに歌ってるんで聞こえてくるんです。

それにしても、バレーボール選手って背が高いw

レイラはすごく身長があるわけじゃなかった気がするけど、ロシアのチームが高かったなぁ、ずらっと並んで歩いてくると、まるで柱が何本も横に並んでこっちに迫ってくるみたいで、すごい迫力でした。

(次回に続く)


2015年12月25日金曜日

10 Downing Street "Cabinet Office" ダウニング街10番地 英首相官邸にて


英語のニュースなどで10 Downing Street というフレーズを耳にしたことはありませんか?

これはダウニング街10番地、つまり英首相官邸の所在地ですが、首相官邸のことを指してナンバー10(テン)などとも呼ばれます。

今日は、この首相官邸についてお話しします。

今年、仕事で首相官邸内に入らせていただきました。事前に許可を得ていないと入れないため、こういう機会に恵まれることはなかなかありません。そのため、前日から「どんな感じなんだろう?」とちょっとワクワクしていました。

さて、このダイニング街、Streetというだけあって「通り」なのですが、以前は車も人も普通に通行できたそうです。

現在は通りの両側に鉄格子が設けられ、警官が警備しています。

80年代にはIRAによる度重なる爆破事件が起き、それを警戒して鉄格子が取り付けられたそうです。

そうして策を設けて警備されるようになるまでは、他の通りと同じように往来できたというのですから驚きです。

鉄格子の柵を通されると、空港にあるようなセキュリティチェックがあります。

身分証明書を提示し、カバンをチェックされ、金属探知機をくぐって、向こう側に出ると、首相官邸の玄関口があります。

上の写真にあるとおり、金色の10番地の文字がついた扉があり「なるほど~、ここがよくテレビで見る場所か」と思いました。

そうして係の人に促され、玄関を入ると、携帯電話を預けるように言われます。そこから先は携帯電話の持ち込みは禁止。

面白かったのは、携帯電話を預けておくため専用の棚があること。

わりと年季の入った感のある、100台以上は優に収納できると思われるこの棚。

そこに携帯電話を置き、控えの番号札を持って進みます。

ほら、傘を預ける時に控えの番号が付いたキーをもらいますよね、あれとよく似ています。

先ほど「なかなかこういう機会はない」と言いましたが、じつはダウニング街の通りの中に入るのは今年2回目。

というのも、毎年6月、俗にいう「女王の誕生日パレード」(正式には軍旗敬礼分裂式)を観に行くのですが、今回は取れた席がダウニング街側だったので、割り振られていた出入り口が首相官邸とWar Room(作戦指令室)の間にある通路を通ってホース・ガーズ・パレードまでアクセスするというルートだったからです。

それでも官邸の「中」に入るのは、これが初めて。

さぞかし豪華な作りになっているのかと思いきや、ウェストミンスター地区のお役所と変わらず、実際は想像よりも質素でした。

とは言っても、きっと首相ご家族の居住エリアはその限りではないと思いますが…。映画『ラブアクチャリー』の官邸シーン。特に階段は今もあんな感じ。(壁の色が違った気がするけれど。)

そもそも、なぜ官邸に行ったかというと、内閣府との会議の通訳の仕事があったからですが、内閣府は指示命令系統が首相直属で、官邸内で勤務している人たちがいます。

当然、首相官邸の建物の中に会議室があり、様々な打ち合わせや会議が行われるわけです。

向こうの部屋には首相がいてこちらの物音が聞こえているのだろうか?とか、一人で心密かに気にしながらも、会議は滞りなく終了。

その後、敷地内を案内してもらいましたが、歴代の首相の肖像画が階段の壁にずらりと並んでおり、チャーチル元首相の有名な肖像画を見たときには、さすがに「おお…!」と、うなってしまいました。

歴史の教科書で見た、あの肖像画の本物(!!)が目の前にあるなんて…。
すぐには実感できませんでした。(歴史の教科書、というのがまたショボいですね。失礼)

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ところで、上の写真、なんでキツネが写ってるの?と不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれませんね。

今年の1月、キツネが塀の中に迷い込むという珍事件があったのですが、その時のキツネの姿をとらえたものです。猫も通ることがあるようです。もっとも飼い猫のLarry君は「ネズミ捕獲長」ですから通るというよりも、ここがお住まいなんですね。

今でこそ人も車も自由に通れなくなりましたが、動物ならまだ自由に通ることができるのかも?


2015年5月9日土曜日

"Still Alice" 『アリスのままで』を観て


友人の祖母は、老人ホームで「自力でご飯が食べられなくなったら(安楽死させて)」という指示を生前だしていたらしい。親しくしているアメリカ人の友人の話だ。残された家族には酷な話で、安楽死させる処置をする医師の気持ちもいかばかりか、と考えてしまう。

でも、自分が似た立場だったら、選択肢としてあるのなら、考えないといったらウソになる。

日本ではまだ公開されていないということなので「ネタバレ」でこれから観ようと思っている方々の体験を台無しにしたくないので、詳細は避けるが、映画のなかで、アリスが自分の病気について聴衆に話すシーンがある。そこで、 I'm not suffering, I'm struggling. と語る。

ここのシーン、そしてセリフが私にはとても印象的だった。娘と観ていたのだが、気づかぬうちに仕事のことを考えてしまう。もし、このスピーチの通訳を任されたとしたら、どう対応しただろうか。ここは、ちゃんと意味も背景にあるものも、そして温度も、しっかりと伝えることが大事だ、と感じた。この感動を過不足なく、しっかりと伝えなければならない、と。

『五体不満足』で乙武さんも書いていたけれど、「障害は個性」、と言おうか、「障害は特徴」と言おうか。

(このあたりの考え方ですが、いろいろと意見が分かれるところで、これだけで立派に議論が成り立ってしまうので、ここでは掘り下げることはしません。) 

この1センテンスで彼女は何を言おうとしたのだろうか。
  • suffering  苦しむ、苦痛を経験する、我慢する
  • struggling  もがく、苦労して進む、苦闘する
suffer していないが struggle している。つまり、苦しんでいるのではなく、苦労している。Cambridge Dictionaries On-line によると "a very difficult task that you can do only by making a great effort " つまり、struggleには痛みが伴うとは限らない。

suffer は否定文や疑問文では「我慢する」というような意味合いがあり、つまり「受身」だけれど、struggle のほうは、上記にあるように「苦労して進む」「努力している」―つまり、「能動的・積極的」である。

どこかが痛いわけではないけれども、(以前は当たり前にできたことができなくなって)ひとつひとつやりこなすのに苦労している、それでも負けじと戦っている(ともすれば負けてしまいそうになるけれど)―ということではないか。

彼女は、痛みや苦しみに絶えているのではなく、もがいている。あきらめず努力を続けている。ほんとうに、自分で考え出した、いろいろな工夫をして努力している。そのひたむきな姿に感動する。

そして、病に倒れたとき、自分はこれほど勇敢で、ひたむきでいられるだろうか、身につまされる思いと同時に、負けるとわかっている戦いでも最後まで全力で戦わなければならないとき、自分はこんな風になれるだろうか。

こんなことを考えながら、亡くなった父のことを思い出した。父のことは思い出すというより、いつも頭のどこかにある。父の病気はアルツハイマーではなかったので、同じではないが、向き合い方がもう少し後ろ向きだった気がする。

ひたむきな生き方、あきらめない生き方は、勇気と精神力、そして体力が必要だ。病気が何であれ、こんな強い生き方ができる自分でありたいと思った。そこまでしてでも戦う価値のある戦いがあると、そのことを改めて考えさせられる映画であった。


(Photo: https://vimeo.com/117595120)

2015年5月7日木曜日

ヒンドゥーの結婚式


以前勤めていた会社の同僚の結婚式に招かれて行ってきました。
ヒンドゥーの結婚式ははじめてだったので、行く前からとってもわくわくしていました!
My dear ex-workmate, always pretty & proper, got married the other day. I was so excited and felt honoured to be invited to her wedding. I went along with another ex-workmate, who is also always well dressed and pleasant.


もう招待状から違います!こんなキラキラで鮮やかな招待状をもらうのははじめて。しかも、結婚式は二日にわたるようでした。あまりにきれいなので、捨ててしまうのはもったいない!記念に、そして素敵な思い出にとっておきます。
When the invitation arrived, I was taken by surprise how bright and different it looked! In the envelope, there were two invitations for separate days. I was simply impressed how beautiful they were. Obviously, I am going to keep these.



期待を裏切らない華やかさと、カラフルさで、もうお祝いの雰囲気いっぱいでした!! もう一人元同僚が招待されていて、仲良しだったので一緒に行きました。浮いてしまうのではないか、と少しだけ心配していましたが、その心配は杞憂に終わりました。
I imagined it to be all very colourful, and truly celebratory - indeed it was! What I loved the most was that despite the fact I didn't know anyone other than the bride and the other ex-co-worker mentioned above, it felt so comfortable...!! I wasn't particularly nervous before arrival but I thought it was only natural even if I felt a little out of place. However, my fear was proven groundless.


儀式は、日本よりも、イギリスよりも手が込んでいます。時間も長くかかりました。祭祀が二ヶ国語でお祈りや誓いの言葉を口にするので、通訳が入るとこんな気分なのかな、と思ったりしました。
The ceremony and rituals were different and more complicated than I have seen in Japan or the UK, likewise, it required longer time, naturally. The priest prayed and implemented the matrimony in two languages, one after another - perhaps similar to the situations like meetings with consecutive interpreting.


朝、式場に着いたときは雨降りだったけれど、いつの間にか晴れてすばらしいお天気に!雨の結婚式って、「雨降って地固まる」とか幸せが「降り込む」といって、日本では縁起がいいんですけどね。
It was rainy in the morning, and then it cleared later on, a beautiful blue sky out there. How suitable was that? Rain on a wedding day isn't a bad thing in Japan, adversity strengthens the foundations, and also it is said that blessings fall upon us like rain. 


天窓から光が降り注ぐ廊下、そして式場全体が天窓がところどころにあってまぶしいくらい明るくて、ほんとうに気分も軽やか、そして華やかにすばらしい結婚式でした。朝から晩まで続くお祝いで、クイズや踊りもこのあと続くということでしたが、私たちは名残惜しいものの、暗くなる前に退散。でもほんとはずっと見ていたいほど、終始興味津々でした。
I loved the skylight. It lifts up my mood, and it changes the atmosphere in an instant, I think. It turned sunny, and it was all bright and cheerful in the corridor, banquet rooms... it was fantastic. Very suitable for such a celebratory day!


日本で言うなら引き出物かな。新郎新婦のイニシャルが二人とも「M」だったので、「M&Ms」が入った小さな入れ物を渡されました。これのキラキラ!おめでとう!これからもお幸せに!!
As we were about to leave, bride's brother gave us these. The initial for both bride and groom was 'M' therefore M & M's - so sweet!! Such a lovely and sweet small gift. It's a lovely reminder of the day for us too. Congratulations both of you!!


2015年5月5日火曜日

Everybody, Somebody, Anybody and Nobody の話


Everybody, Somebody, Anybody and Nobody の話って聞いたことがありますか?上の写真の話なんですが、写真だとちょっと読みづらいので下にタイプします。

That's not my job! 
"This is a story about four people named: Everybody, Somebody, Anybody and Nobody. There was an important job to be done and Everybody was sure that Somebody would do it. Anybody could have done it, but Nobody did it. Somebody got angry about that, because it was Everybody's job. Everybody thought Anybody could do it, but Nobody realised that Everybody wouldn't do it. It ended up that Everybody blamed Somebody when Nobody did what anybody could have done."

まず一文ずつ見てみましょう。

That's not my job! 
あれは私の仕事ではない!

This is a story about four people named: Everybody, Somebody, Anybody and Nobody. 
これはEverybody、Somebody、Anybody、Nobodyという名前の4人の物語。
  • Everybody(=誰もが)
  • Somebody(=誰かが)
  • Anybody(=誰でも)
  • Nobody(=誰も~ない)

There was an important job to be done and Everybody was sure that Somebody would do it. 
やらねばならない重要な仕事があった。そしてEさんは、Sさんがきっとやるだろうと思った。

つまり

やらねばならない重要な仕事があった。そして誰もが、誰かがきっとやるだろうと思った。

Anybody could have done it, but Nobody did it. 
(その仕事は)Aさんができることだったが、Nさんがやった。

つまり

(その仕事は)誰でもできることだったが誰もやらなかった。

Somebody got angry about that, because it was Everybody's job.
Sさんがそれに腹を立てた。それはEさんがやるべき仕事だったからだ。

つまり

誰かがそれに腹を立てた。それは誰もがやるべき仕事だったからだ。

Everybody thought Anybody could do it, but Nobody realised that Everybody wouldn't do it.
Eさんは、Aさんにできる仕事だと思ったが、NさんはEさんがやらないということに気付かなかった。

つまり

誰もが、誰でもできる仕事だと思ったが、誰も誰もがやらないということに気付かなかった。

It ended up that Everybody blamed Somebody when Nobody did what Anybody could have done.
結局、Eさんが、AさんができることをNさんがやったのに、Sさんのせいにした。

つまり

結局、誰でもできることを誰もやらなかったのに、誰もが誰かのせいにした。

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なぞなぞのようですが、深いですよね。One for All, All for One の精神にも通ずるものがあると思います。一人が自分個人のことではなく全体のために力を尽くし、たった一人の命を助けるために全員が尽力する。

考えるたびにその深さに気づかされる大切な教えであり、精神です。重要なことは、往々にして、シンプルな文章で表され、そういうすばらしい文に出会ったとき、感動を覚えます。

最近、女子高校生4人が松葉杖をついている人にぶつかり転ばせてしまったとき、謝るどころか「邪魔なんだけど、もっと端っこ歩いてくんない?」と吐き捨てたという記事を目にしました。さっと、見出しだけを読んだとき、このセリフを言ったのは転んでしまった人の方かと思ったのですが、逆だったなんて・・・。

ここには上記の精神のかけらもない。それどころか、逆転してしまっています!この話が本当だとしたら、誰かがやらなければならない、誰でもできることを誰もしない、それでいて自分以外の人を責めて、自分だけは反省しない人が多い社会になっているということかもしれません。

(ちなみに、私がその場にいたらガンガン意見すると思いますが。)

それにしても、こういうことってよくあるとおもうんですね、残念ながら。自戒の意味も込めて。だから、職業に貴賎はないと思うんです。ゴミを集めてくれる人たちや、下水管をキレイにしてくれる人がいなかったら困る。街で掃除をしてくれている人を見かけると本当にありがたいな、とおもいます。


人間見えないところ、気づかないところでたくさんお世話になっていることを忘れてはいけない。コイツ嫌い、とかアイツ嫌いと思っても、自分の子供が子孫が先へ行ってその人やその人の親戚に世話になるかもしれない。その人の先祖に自分の親や先祖が知らず知らずのうちに世話になっているかもしれない。そういう想像力を失ったら人間は終わりだと思うのです。

取り留めなくなってしまいそうなので、この辺で話を戻すと、上の文章ですが、もちろん、Everybody, Somebody, Anybody, Nobody の使い分けをすっきり理解したい人にも役立つとおもいます。

熱くなってしまいました。今日はこの辺で。



2015年5月3日日曜日

Veganのための抹茶ラテ


大学院の後輩が授業が全部終わったので帰国前に会いましょうということで、Victoriaのカフェで落ち合いました。

ここはお気に入りのお店のひとつで、WiFiもあり、ボックス席もあるのでちょっとした打ち合わせなどにも使えて重宝しています。

ここのところ他の場所へ行く機会が多かったのでじつはちっとご無沙汰していました。Vegan対応の抹茶ラテ、アーモンドミルクと豆乳から選べるというので、アーモンドミルクを注文。

ところが、人気だったらしくアーモンドミルクは売り切れだというので豆乳にしたのですが、Veganはかなりに浸透してるんですね。最近娘が「お腹に優しくて調子がいいの」というPaleoダイエット。

最初は「それって水着の上からまとうやつじゃないの?」と思ってしまったんだけどけっこう流行ってるんですね。炭水化物がないとか言ってたけど、Irritable Bowel Syndrome (過敏性大腸症候群)の人なんかには、こういうのがいいのかな?

最近、娘のリクエストでPaleoのシリアルのボックスが増殖中。こんどこっそり試してみようかな…怒られるかな。

それにしても、炭水化物の入ってないシリアル=穀物って、可能なんだろうか?

2015年5月2日土曜日

ルクセンブルク -欧州連合司法裁判所 報告 その2Luxembourg European Court of Justice Report Part.2



欧州裁判所の入り口。
今日はEuropean Court of Justice の見学の日!ドイツ語の通訳をしている子とイタリア語の通訳をしている子とパチリ。わくわく‼︎
In front of the entrance to the European Court of Justice. With German and Italian interpreters. So excited!!!




欧州連合司法裁判所(Court of Justice of European Union)の一番大きな法廷。通訳ブースがなんと24もある‼対応言語が23あって、いつでもそれら全部の通訳があるわけではないとのことです。裁判所というより「劇場」みたい
The largest court in the ECJ. There are 24 booths ("cabins") there, to accommodate 23 languages - how awesome!! It felt like a theatre(=exciting) than a court(=boring) ;-D

 



通訳ブースからの眺め。こんな広いブース初めて見た。3人掛け‼"slow down" ボタン 押してみたい‼ちゃんとみなさんいうこと聞いてくれるのかしら⁉️ この違い…あまりの扱いの違いに、知らなかったほうがよかったのか⁉️と思ってしまうほど。知ってしまった以上、知らなかった自分には戻れない❗️
I wish, seriously I wish I could and can one day work in such a booth and use this "slow down" button. I'd love to see how the clients respond.  I don't mean to experiment with it, but I'd love to see how they would interact with it. 

I find truly fascinating the level of awareness in such institutions - so advanced, how well 'educated' about interpreting. It shows how vital it is, how much it is appreciated in the 'community'. People ensure it is done properly and with respect. 

と、こう書くと、通訳や翻訳という仕事において、大陸欧州とそれ以外の地域ではいかに違いがあるか、思い知らされます。望むと望まざるとに関わらず、「何なのこの認識の差は⁉️」と。翻訳と通訳という言葉が混同されることは、日本(語)ではないけれど、英語(外国語)ができれば翻訳も通訳もで来ると思われているあたりは、意識の低さ、認識の低さでは依然嘆かわしいと思いますし、英語圏ではよくあるtranslation と interpreting の混同も、まず使い分けている人は、同業者を除くと「いない」と言っても言い過ぎではないほど。

Interpreting と Interpretation はどちらでもいいわけではなく、厳密に言うと、欧州では 通訳(すること)は interpreting を使い、interpretation=解釈 とは使い分けられているんですけどね。

とにかく、この辺の違いはどうでもいい人が多いなかで仕事をすることが多い私にとって、こんなにも大事にされている、優遇されている環境・設備を目にしたのは初めて。各同通ブースの広いこと!さすがは同時通訳を生んだ欧州。
そして、ここまで来るには、理解を推し進めてきた通訳者たちの多面的な努力があったのだと感じずにはいられませんでした。
Now that I put in words as above, it goes to show that is not what happens in less appreciated settings. I'm sorry to say but that's far more prevalent, largely in less multilingual regions. It is hard to get across the idea that translation is different from interpreting to start with, where people do not care about these differences thinking "whatever, just translate, will you?" 

I couldn't help thinking there must have been a tremendous amount of effort by both non-interpreters and interpreters to bring both parties together. Making their partnership work, over the years before this beautiful working environment could happen. 

I could feel something certain, in air, that Europe being the birth place, the genesis of simultaneous interpreting. Bravo!!