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2016年6月5日日曜日

通訳という不思議な職業…?番外編

http://www.tvdsb.ca/programs.cfm?subpage=226723

いつも楽しく読ませていただいている『日本とアメリカで働く翻訳者のブログ』。

そのなかの「謎の職業?翻訳者」と「翻訳者と通訳者の大きな違い」という2つの最近の記事。
これを受けて通訳の視点から書いてみました(はなさんにはご了承をいただいています)。

通訳という不思議な職業 入門編」「上級編」と書いてきて、今回は第3弾「番外編です。」

「通訳は時間が勝負です、翻訳は正確さが勝負です。」 ― そう、締め切りまでは時間がある翻訳と瞬間的にその場でアウトプットしなければならない通訳。

テレビで収録されて放送される番組と生放送の番組と、二種類あって、その二つで制作面が全然違うのと似ています。

通訳のパフォーマンスについて、正確さが勝負でないかと言ったら、もちろんそんなことはありません。通訳のクォリティを評価する際に基準となる軸。

ちょうどダイヤモンドの4Cのようなものがあるのですが、正確性や完全性などが含まれています。

ですから、正確さに関しては、非常に重要な要素であることに変わりはありません。

永久保存版として残ることが前提の翻訳と、瞬間の芸術(?)である通訳とでは、その影響の仕方は同じではないかもしれませんが。

通訳も翻訳もやるけど得意が分かれるというのは、その通りだと思います。はなさんがおっしゃっている「通訳は大まかに大胆に、翻訳は緻密に細かく」というのも、一言で言えばその通りだ、と思います。

もうひとつは、人と接するのが好きな人とあまり好きではない人で「好み」というか、得意不得意が分かれることがあります。

短距離一か所集中型で業務が終わったらさっさと家に帰る、あるいは呑みに行く!ようなオンオフが明確にあるのも翻訳の仕事とは違う点。

翻訳は納品してクライアントから終了を言い渡されるまでは、なかなかそうは行きませんよね。

得意不得意で言えば、その働き方の好みや適性で分かれると言えるかもしれません。

翻訳では「永久保存版」を想定して仕事をするという話が出たので、触れておこうと思いますが、ここ数年(もっと前からかもしれません)これについては翻訳の話だけではなくなってきています。

昔から、文芸翻訳などでは、ギャラの支払い形態(契約)を「買取」にするか「印税」にするか、ふたつから選ぶということがあったわけですが、通訳には「印税」というのは縁遠い話のようでした。

それが、事情が大きく変わってきたのはここ数年のこと。

インターネット上に様々なメディアが登場したこと、またICレコーダーはもちろんiPhoneのようなデバイスなど、録音機能を備えた機器が持ち運びやすい形で手に入るようになったことから、通訳音声(映像)が録音される場面が増えてきたのです。

これについては別の記事で特集しようと思っているので、ここでは詳しくは書きませんが、通訳に無縁のことでなくなってきているのは確かです。

なので、「泣いても笑っても言いっぱなし。その場で終わり。」は、そうでもなくなって来ているのが現状。ある程度は今でも「そうだ」と言えますけどね。

国際会議などで議事録代わりに録音されることはもちろん、聞き取り調査の案件、ラジオやテレビ番組のインタビューの録音・録画、さらにそういった番組の半永久的な二次利用(YouTubeなどにアップする)など。

それ以外にも録音されるケースはとても多く、「ほぼ一般的」になってきていると言えるでしょう。これはこれで新たな問題を生み出しているのですが。

それを考えると「その場で終わり」とも言っていられなくなって来ました。
瞬間の芸術(芸当?)から「残る」ものへとシフトしていると言えるかもしれません。

もうひとつの大きな誤解として挙げておきたいのが、「通訳なら誰でも同じだろう?言葉を置き換えるだけなんだから」 というもの。

この誤解自体は新しくも何ともありませんが、新しいのは展開とその規模です。

「法廷通訳でも IR でもやることは同じじゃないか」― そういう誤解が蔓延しているからトラブルが絶えないのです。イギリスに至ってはこんなありがちな単純な誤解が国規模のトラブル(Guardian記事)にまで発展しています。

国が下請けに出している企業(要するに通訳・翻訳エージェンシー)が罰金を科せられるケースも。

場が裁判なのか、ビジネスなのか、などによっても通訳の役割や、その定義が同じではありませんし、「やっていいこと」と「いけないこと」。もっと言えば「この場合はぜひやるべき」ことが別の場では「決してやってはいけないこと」になっていることも。

わかりやすく言うと「T.P.O.」のようなものがあって、それによって倫理・行動規範も、異なるのに「通訳ならみんな同じ」と思ってしまう。

そこに大きな落とし穴があるのはNataly Kelly著「Found in Translation」で枚挙にいとまがない。

医療分野のみならず、イギリスの法廷通訳の問題など、公益部門には重要なポイントとして、同書からの以下の引用をもってこの記事を終わりたいとおもいます。

お読みいいただきありがとうございました。

[T]he costs to the entire healthcare system are higher when interpreters are not used. When language barriers are present, medical errors are more common...when language barriers exist and no interpreters are available, healthcare providers are more likely to order expensive diagnostic tests to determine what is wrong with patients and monitor their care for longer periods than necessary, resulting in excess spending.

(筆者訳:通訳を使った時よりも、使わなかったときのほうが医療システム全体のコストが高くつく。それは、言葉の壁があるときには、医療ミスがより起きやすいから。(中略)[さらに]言葉の壁があり、通訳者が手配できないときには、医療従事者は患者の問題を特定するために高額な診断テストを施したり、必要以上に長く経過を看たりする傾向が強いため、結果としてコスト超過を招く。)



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