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2014年6月2日月曜日

なぜ、この仕事をしているのか?

なぜこの仕事をしているか、時々質問されることがあります。

その度に悩むのですが、一言で言うと、好きだから。そして、頂上が見えないからなんですね。

有名なイギリスの登山家マロリーの「そこに山があるから」ではありませんが、そこに障害、障壁があり、越えていく、あるいは誰かが越えるお手伝いができる、それに必要な何かを私が提供できるから、です。

私は、小さいころから、ハイキングや山登りをして育ちました。あの達成感のすばらしさたるや、一度体験したらやめられなくなってしまいました。

イギリスに移ってくる前のことですが、その頃の同僚に誘われて富士山にも二度挑戦し、二回とも登頂しました。

富士山は、高山植物が楽しめたり、景色が変わる他の山とは違い、比較的単調です。あの山の形のまま、下から上まで、灰土の路をひたすらジグザグに上っていきます。単調ですから、やはりどこかで、飽きてくるんですね。

5合目から7合目あたりまでは、この先が長いことを考えてしまい気が遠くなる。一瞬「もうやめようかな」「ここでやめたら、戻るのにそんなに時間はかからないだろうな」「でも、下りて誰もいないところでずっと待っているのも退屈だな、さみしいな」「だったらやっぱり上ろうかな」などと、いろいろな思い、そして迷いが頭の中を駆けめぐります。

それでも、とにかく8合目、9合目と歩みを進めてくると、「あと少しだからがんばろう」という気になってきます。何時間もありますから、その途中で、何度となく自分の弱さに直面し、ああだこうだと自問自答していると、ふと、「つべこべ言わず、とにかく足を前へ出そう!」と、無心になっている自分に気づきます。

12時間近くも坂を上ってくると、疲労も溜まってきますから、葛藤も悩みも、迷いすらもネタ切れになってくるんですね。

そんな頃、気がつくと朝焼け、そしてご来光! 無条件に感動するというご褒美が待っているのです。

私が通訳・翻訳の仕事をしているのは、どこか登山に似たところがあるからかもしれません。

通訳をしていると、逃げ出したくなる瞬間もあるし、翻訳の仕事では、引き受けたことを後悔するような仕事だってあります。

地味で地道で手間がかかる。しかも単調で飽きる作業の繰り返し、だってめずらしくありません。

それでも、仕事をやり終えたときの富士山のご来光にも似た、恍惚感、満足感をもう一度味わいたいから、凝りもせずに続けていると、言えなくもないのです。

英語が好きだからとか、お金をもらうためだからとか、その程度のモチベーションだったなら、とっくにやめていたでしょう。

その程度だと、翻訳という仕事は続かない。とっくにガス欠になってしまうと思うのです。そのくらい忍耐力が要ります。

お客さまに納得してもらえるクォリティを出すためはもちろんと、自分で納得できるものを出すために。

そして日々移り変わる世の中でスキルを、意識を維持・向上しつづけるために。

翻訳・通訳に限ったことではありませんが、そのためには、かならず粘り強さが必要になります。

とは言うものの、もともと私はどちらかというと飽きっぽい性格なんです。

では、なぜ、翻訳・通訳は続いているか、長い間生業にしているのか。

ひとつには「この文章が訳されているからこそ伝わった、広がった思いが、そしてメッセージがある」ということにやりがいを感じるからです。

返して言えば、誰かの人生に触れ、変える力を持った思想もメッセージも、訳されなかったら決して伝わらない。埋もれていってしまう。

書き言葉でも、話し言葉でも、人と人が話をすること、メッセージをやり取りすることで、社会は回っています。

言語が複数である以上、異なる言語同士ではお互いを分かり合うことができない。想いも願いも。

伝えたいことは山ほどあるのに、言語が違うから通じ合うことができない。

これほどもったいないことはないと感じます。

中学生の頃感じたこの想いを今でも、毎日のように感じます。

大切なその想いを、体験を、少しでも伝えるお手伝いが、私にできるなら。

お互いの言語で話すことはできなくても、私が通訳することで「伝わった!よかった!」そう思ってもらえるのなら…。

思うように表現できなくて困っている人がいたら、私にもできることがある。

誰かの切なる想いが、願いが、相手に届く。ひとりの人生が変わっていく――。

一人が二人になり、三人になって増え続けていく。

そいういう、人々の出会いやふれあいを、ほんの少しでもお手伝いすることができるとしたら、これほどうれしいことはありません。

「ワイルド・ワールド」“Wild World” by Cat Stevens


この曲は、じつはもともとキャット・スティーブンスのものとは知らなくて、Mr. Bigというバンドがカバーしたバージョンで知りました。20年以上前になりますが、Maxi Priestというレゲエのアーティストもこの曲をカバーしており、当初は単純に「いい歌だなぁ」とおもっていました。昔よりも英語がわかるようになって、あらためて歌詞を見直してみると、

But if you wanna leave, take good care

(それでも君が行くというのなら、くれぐれも達者で。)

I hope you have a lot of nice things to wear

(きれいな服がたくさん着られるといいね。)

But then a lot of nice things turn bad out there

(でも、素敵なことが悪く不愉快なことに転じてしてしまうことだってたくさんあるんだ。)
特に若いころは人生の大変さ、というか、責任をもって生きていくことの重さがわかっていないから、安易に考えてしまいがち。自分もそうだったけど。正直、もう一回やれと言われたら嫌だわ・・・。

あんなにすてきだと思ったのに、Intentionはよかったのに、とんでもないことになったり、とんでもないことに巻き込まれてしまったり・・・。


You know I've seen a lot of what the world can do

(世間がどういうものなのか、僕はずいぶんと見てきた。)

And it's breaking my heart in two

(苦労するのがわかっているからつらいんだ。)

Because I never wanna see you a sad girl

(君が悲しむ姿を見たくないから)

Don't be a bad girl

(何があっても悪い娘にはなったりしないでおくれ)
年頃の娘がいる親にしてみれば、心配でたまりませんね。
キャット・スティーブンスに娘がいたかどうかわかりませんが、(ここでは「自分のことを歌っているんだと思います」と冒頭で語っています。)
But if you wanna leave, take good care
(どうしても出て行くというなら、せめて自分を大切にするんだよ。)

I hope you make a lot of nice friends out there

(行く先々でたくさんのいい友達ができるといいね。)

But just remember there's a lot of bad and beware

(でも、悪人もたくさんいるってことを覚えておいて。油断しないで。)

I'll always remember you like a child, girl

(僕は子供のような君をいつまでも覚えているからね。)

親戚のおじさんとか、そういう立場で、自分が小さいときから面倒を見てきた女の子が大きくなって違う土地へ旅立つとか、そういう状況を私はイメージしています。


残念ながら人生は「粥やジャムではできていない」。そして、ある人が言うには人間には「だます側」と「だまされる側」しかいないんだそうで・・・。


むごい事件も後を絶たないなかで、子どもを社会に送り出すのは不安ですよね~。命を落とすことだってあるんだから。本人たちは十分に知っているつもりだけど、じつは、どんな目に遭うかつゆ知らず。世間の厳しも知らず、悪者がうようよいることも知らない。経験を積んだ大人になってからでも痛い目に遭うことはあるくらいですからね。Wild Worldだな、とつくづくおもいます。


若いみんな、がんばれー! 世の中、年齢に関係なく、がんばってる人が一番えらい、と私は思うから。