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2016年6月26日日曜日

通訳者が「資料ください」としつこくお願いする理由 その1

「だから資料が本当はあるのに出さないなんてもってのほか」

通訳が「資料ください」と「しつこく」お願いする理由について。

つい最近、同僚と会って話をしていて出てきたのですが、二人揃って啞然、愕然、呆然としたのが、

「資料なしで準備ができないならプロ失格」

と思っている人がいらっしゃること。



先日「日本の食文化紹介 和菓子」で書かせていただいた「最中」を例にすると、

私もたまにいただきますが、だからといって何で出来ていて、どういう工程で作られているか、

なんて、いつも意識しながら食べているわけではありませんよね。


日本語で聞いたらそのままわかる(ような気がする)けれど、

それを自分の言葉で(日本語同士で OK)説明できるかというと、これはまた別の問題です。


その場で当てられたら、とっさに説明するなんてことは、普通はできません。

でも通訳するときは、それではいけないわけです。



だから、準備をしておかないと。準備、つまり「資料ください」です。

このように、通訳者が「事前に」「資料をください」と「しつこく」お願いするのにはちゃんと理由があるのです。

たくさんある中でほんの一握り紹介するつもりで説明したいと思います。

準備=資料が大切な理由のひとつに通訳作業の特徴があります。

ご存知のように、通訳は聴いた言葉
つまり、耳に聞こえてきた言葉を処理するので、事前に馴染んでいない言葉が発言者の口から突然飛び出すと、

他のお仕事をされている方なら思いもよらないことかもしれませんが、

「キザト?? 字は何 ?」 となって立ち往生してしまう危険性がある。

そこへ持ってきて、発言者一人一人個性がある。クセがあるので余計に負荷がかかります。

声の小さい人、滑舌が曖昧な人、地方訛りや外国語訛りがあったり。早口や、非常にハスキーな声の人もいます。

発言者が発言の途中で気が付いてマイクをつければ当然ある語の途中からしか聞こえません。

発言中、紙を触ったりペンを無意識にカチカチしたり、指をテーブルの上でカタカタ鳴らす人もいます。マイクから近い(!)

キーボードを叩く音などもそうですが、こういう音、マイクはすごく拾うんです。人間の耳とは感知の仕方が違うので。

大事な話よりも大きい音で拾ってしまうことが多く、耳障りでしょうがない。プルタブを引く音なんてもってのほか。

それに、同時通訳でブースにいたら話者から物理的に遠く、対面で通訳をしている時とは違い、訊き返すことができないので、余計に困ってしまいます。


話し手にとっては当たり前のことは、
決して他の人にとっても当たり前のことではありません。


学会や特定のスポーツのファンが集まっている場(テレビ番組など)であれば、

話し手はもちろん、聞き手にとっても当たり前かもしれませんが、

それが通訳者にとっても「すでに」当たり前かどうかは別の話。

どこぞの会社の社内用語だったらなおのことです。



でもこれが実によく登場するんですよね。

完全に内輪ネタですから、ちゃんと事前に解説しておいてもらえなければ、外から呼んだ通訳には対応できなくても当然のこと。



下調べをして、学習(予習?)しておき、「生砂糖」は 

Kizato, which means raw sugar in Japanese  などと解説しながら通訳を進めるわけです。

こういうことがとても多いのです。





(Photo:http://www.jcfl.ac.jp/course/curriculum/a-k.html)

2016年6月19日日曜日

日本の食文化紹介 和菓子 その3 対訳例について


前回の記事で掲載させていただいた対訳リスト(下方にもあります)ですが、

すでにお気づきの方もいらっしゃることとおもいますが、

そうです。 「日本語(原語)が短いのに、対訳の英語がうんと長い」 のです。

それは主に、対訳の英語が「お茶請け」など語の説明になっているからですが、それは、たとえ日本ではおなじみのコンセプトでも、外国ではまったく馴染みがないからです。

同様に、イギリスではおなじみでも、日本ではまったく馴染みのないことはたくさんあります。
(はっきり言って、そんなもの「だらけ」だと思います。)

だから、訳出が説明を伴っていないと、聞いている人は何のことだか理解できないのですね。

「足さない、引かない」というフレーズをご存知でしょうか。

原文や原発言に対して、訳すときに足すことも(Addition)、引くことも(Omission)、曲げること(Distortion)もしないこと。翻訳でも通訳でも、重要な指針です。

米原万理氏の著書『不実な美女か、貞淑な醜女か』というタイトルにもあるように、アウトプットがoriginalに忠実かどうか云々は永遠のテーマですね。

なぜこの話を出したかというと、これは足したことにはならないと思うからです。

表面的に言葉を置き換えても「通じない」。

そして、通じなければ意味がないわけですから。

(詳しくはセレスコビッチ(Seleskovitch)の「意味の理論(the Theory of Sense a.k.a. the Interpretive Theory of Translation)」を参照)


お茶請けOchauke - snack to go with tea like teacakes
上生菓子 high-grade Japanese fresh/wet confections
主菓子 Omogashi - main sweets (wet sweets)
打ち物 Uchimono - malded dry confectionery
自然薯wild yam
和三盆 Wasanbon sugar - Japanese traditional refined sugar that is very sought   after
生砂糖(きざと)raw sugar
おうす(a) weak infusion of powdered tea
落雁 dry confection of startch, soy etc. pressed into a pattern
求肥 sweetened mochi
栗きんとん mashed sweet potatoes with sweetened chestnuts
おしるこ sweet soup like food made with Azuki beans
最中の皮 delicate and crispy sweet rice crackers
丹念に carefully / with great care
刻む carve / chisel / mince / finely chop
練る knead / temper
漉す purée /mash and filter out impurities
煮詰める simmer away / reduce / concentrate
見て楽しむ enjoy viewing / watching
詫び寂び aesthetic sense in Japanese art emphasising quiet simplicity, called WabiSabi
研鑽を積む devote oneself to their [study] for many years

などなど…。


それから、上の表ですが、スラッシュで区切ったものは「このうちどれでもいい」ということではなく「context  (文脈)に合わせて随時選択」するというつもりで訳語を出してあります。

各単語(英語)の意味やニュアンスが異なるので。

「突貫工事の対訳」では当然納得がいかず、後日「練り直した」ものもあります。
※上に載せたものは練り直したものではありません。

例えば「求肥(ぎゅうひ)」がそれですが、「sweetened mochi かぁ、甘くした餅」じゃあピンとこないなぁ、と。

うんうん言っていると、ひらめきました!ちょうどイギリスには似ているものがあることに気づいたのです。Turkish Delight というお菓子です(トップの写真)


求肥(Gyuhi) の Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Gy%C5%ABhi) の説明(英文)も参考にして…

"Gyuhi - a softer variety of mochi, which is made from either glutinous rice or its flour, similar to Turkish Delight"   

…と、ここまで言う時間的余裕があればいいですが。

逐次ならともかく、同時通訳なら無理だろうなぁ。

もし、自分がここで同時通訳だったら、瞬時にどう対応するか。

悩みは尽きません。

というわけで、今回はこの辺で。

お読みいただきありがとうございました。

2016年6月13日月曜日

日本の食文化紹介 和菓子 その2 お約束の対訳例をUPしました。


前回の「日本の食文化紹介 和菓子」で、友人宅へ行く途中、電車で移動中、
日本文化を紹介する依頼が急に入ったというお話をしました。

友人宅へ遊びに行って翌朝ゆっくり好きな時間に帰ってくるはずが、翌朝仕事になってしまい、往復の電車の中で「iPhone とにらめっこしながら一夜漬けならぬ付け焼き刃もいいとこ、突貫工事で捻り出した」のですが、そのときの「突貫工事の対訳例」がこちら↓

お茶請け Ochauke - snack to go with tea like teacakes
上生菓子  high-grade Japanese fresh/wet confections
主菓子  Omogashi - main sweets (wet sweets)
打ち物  Uchimono - malded dry confectionery
自然薯 wild yam
和三盆  Wasanbon sugar - Japanese traditional refined sugar that is very sought after
生砂糖(きざと) raw sugar
おうす (a) weak infusion of powdered tea
落雁  dry confection of startch, soy etc. pressed into a pattern
求肥  sweetened mochi
栗きんとん  mashed sweet potatoes with sweetened chestnuts
おしるこ  sweet soup like food made with Azuki beans
最中の皮  delicate and crispy sweet rice crackers
丹念に  carefully / with great care
刻む  carve / chisel / mince / finely chop
練る  knead / temper
漉す  purée /mash and filter out impurities
煮詰める  simmer away / reduce / concentrate
見て楽しむ  enjoy viewing / watching
詫び寂び  aesthetic sense in Japanese art emphasising quiet simplicity, called WabiSabi
研鑽を積む  devote oneself to their [study] for many years

などなど…。


すでにお気づきの方もいらっしゃることでしょう。

「日本語(原語)が短いのに、対訳の英語がうんと長い。」



そうなのです。

でも、こういうことはよくあります。

逆もまたしかりです。


その理由はまた次回に。


(Photo: http://morichan37.com/?page_id=2523)

2016年6月5日日曜日

日本の食文化紹介 和菓子



きれいですよね。和菓子って、素敵だなとおもいます。

昨年の秋、ラグビーワールドカップイングランド大会と時を同じくして日本を紹介するシリーズイベントがありました。

その中の食文化を紹介する小イベントで和菓子の紹介を通訳する機会を得ました。

通訳仲間から連絡が入ったのです。
それは泊まりの外出先へ移動中の電車の中でした。

それで、その仲間に「いつ?」と聞けば「明日の朝」とのこと…。会場が自宅から目と鼻の先ほどの近場だったこともあって声を掛けてくれたのでしょうか。

あいにく、その日に限って泊まりで遠出中だったのです。

しかし「直前だからなんとかお願い!」と頼まれ、翌朝には帰ってくる予定であったので、断るわけにはいきません。

翌朝ゆっくり帰るつもりを急いで切り上げることにして、エイヤッと引き受けました。

が、コンピュータもなければ、ケータイの通信すらおぼつかず、何より出先ですからWiFiが使えません。

しかもお出かけ中だったんだから資料らしきものなんかひとつもない…。イギリス国内とは言えど、海辺に近い(つまり文明品がない)のどかな場所だったので。

話題は和菓子。職人さんが実演をしながら説明するのを通訳するのです。

和菓子といえば、なじみはありましたが、もっぱら食べることが中心。作ったり説明なんて想定したことがない。

その歴史や精神、詳しい作り方や材料については詳しいとは嘘にも言えず、この時ばかりは茶道の心得でもあれば、きっと助けになっただろうにと悔やまれました。

でもなんとか乗り切らなければなりません。観客を前に実演で和菓子を通訳するとなると、英語でなんと表現したら良いものやら…。

私はじつはお菓子を作るのが好きな方なのですが、それもケーキやらパイやらと洋菓子で、和菓子の道具や材料、作る時の手順や動作について詳しくないんです。

でも、その「心」を伝えねば。

ネットは繋がらないし、翌朝本番だし、でもなんとか出来る限りの準備をということで、頼れるものはiPhoneだけ。しかも時間は電車が到着するまで。途中何度もネットが途切れつつ…。

調べ物をして、準備をする機器としては小さい。このiPhoneの画面とにらめっこしている私の様子は周りの人にはきっと鬼気迫るものがあったでしょう…鬼のような形相だったに違いありません(苦笑)

お茶請け
上生菓子
主菓子
打ち物
自然薯
和三盆
生砂糖(きざと)
おうす
落雁
求肥
栗きんとん
おしるこ
最中の皮
丹念に
刻む
練る
漉す
煮詰める
見て楽しむ
詫び寂び
研鑽を積む

などなど…

どうでしょう、これらの言葉サラッと英語になりますか?

いやぁ私はサラッと納得のいく表現は出てきませんでしたね。

それでもわかりやすく、素早く伝わる表現を考えて、頭に入れなければならない。

私がiPhoneにらめっこしながら一夜漬けならぬ付け焼き刃もいいとこ、突貫工事で捻り出した対訳例。

次回はそれをご紹介しますね。


通訳という不思議な職業…?番外編

http://www.tvdsb.ca/programs.cfm?subpage=226723

いつも楽しく読ませていただいている『日本とアメリカで働く翻訳者のブログ』。

そのなかの「謎の職業?翻訳者」と「翻訳者と通訳者の大きな違い」という2つの最近の記事。
これを受けて通訳の視点から書いてみました(はなさんにはご了承をいただいています)。

通訳という不思議な職業 入門編」「上級編」と書いてきて、今回は第3弾「番外編です。」

「通訳は時間が勝負です、翻訳は正確さが勝負です。」 ― そう、締め切りまでは時間がある翻訳と瞬間的にその場でアウトプットしなければならない通訳。

テレビで収録されて放送される番組と生放送の番組と、二種類あって、その二つで制作面が全然違うのと似ています。

通訳のパフォーマンスについて、正確さが勝負でないかと言ったら、もちろんそんなことはありません。通訳のクォリティを評価する際に基準となる軸。

ちょうどダイヤモンドの4Cのようなものがあるのですが、正確性や完全性などが含まれています。

ですから、正確さに関しては、非常に重要な要素であることに変わりはありません。

永久保存版として残ることが前提の翻訳と、瞬間の芸術(?)である通訳とでは、その影響の仕方は同じではないかもしれませんが。

通訳も翻訳もやるけど得意が分かれるというのは、その通りだと思います。はなさんがおっしゃっている「通訳は大まかに大胆に、翻訳は緻密に細かく」というのも、一言で言えばその通りだ、と思います。

もうひとつは、人と接するのが好きな人とあまり好きではない人で「好み」というか、得意不得意が分かれることがあります。

短距離一か所集中型で業務が終わったらさっさと家に帰る、あるいは呑みに行く!ようなオンオフが明確にあるのも翻訳の仕事とは違う点。

翻訳は納品してクライアントから終了を言い渡されるまでは、なかなかそうは行きませんよね。

得意不得意で言えば、その働き方の好みや適性で分かれると言えるかもしれません。

翻訳では「永久保存版」を想定して仕事をするという話が出たので、触れておこうと思いますが、ここ数年(もっと前からかもしれません)これについては翻訳の話だけではなくなってきています。

昔から、文芸翻訳などでは、ギャラの支払い形態(契約)を「買取」にするか「印税」にするか、ふたつから選ぶということがあったわけですが、通訳には「印税」というのは縁遠い話のようでした。

それが、事情が大きく変わってきたのはここ数年のこと。

インターネット上に様々なメディアが登場したこと、またICレコーダーはもちろんiPhoneのようなデバイスなど、録音機能を備えた機器が持ち運びやすい形で手に入るようになったことから、通訳音声(映像)が録音される場面が増えてきたのです。

これについては別の記事で特集しようと思っているので、ここでは詳しくは書きませんが、通訳に無縁のことでなくなってきているのは確かです。

なので、「泣いても笑っても言いっぱなし。その場で終わり。」は、そうでもなくなって来ているのが現状。ある程度は今でも「そうだ」と言えますけどね。

国際会議などで議事録代わりに録音されることはもちろん、聞き取り調査の案件、ラジオやテレビ番組のインタビューの録音・録画、さらにそういった番組の半永久的な二次利用(YouTubeなどにアップする)など。

それ以外にも録音されるケースはとても多く、「ほぼ一般的」になってきていると言えるでしょう。これはこれで新たな問題を生み出しているのですが。

それを考えると「その場で終わり」とも言っていられなくなって来ました。
瞬間の芸術(芸当?)から「残る」ものへとシフトしていると言えるかもしれません。

もうひとつの大きな誤解として挙げておきたいのが、「通訳なら誰でも同じだろう?言葉を置き換えるだけなんだから」 というもの。

この誤解自体は新しくも何ともありませんが、新しいのは展開とその規模です。

「法廷通訳でも IR でもやることは同じじゃないか」― そういう誤解が蔓延しているからトラブルが絶えないのです。イギリスに至ってはこんなありがちな単純な誤解が国規模のトラブル(Guardian記事)にまで発展しています。

国が下請けに出している企業(要するに通訳・翻訳エージェンシー)が罰金を科せられるケースも。

場が裁判なのか、ビジネスなのか、などによっても通訳の役割や、その定義が同じではありませんし、「やっていいこと」と「いけないこと」。もっと言えば「この場合はぜひやるべき」ことが別の場では「決してやってはいけないこと」になっていることも。

わかりやすく言うと「T.P.O.」のようなものがあって、それによって倫理・行動規範も、異なるのに「通訳ならみんな同じ」と思ってしまう。

そこに大きな落とし穴があるのはNataly Kelly著「Found in Translation」で枚挙にいとまがない。

医療分野のみならず、イギリスの法廷通訳の問題など、公益部門には重要なポイントとして、同書からの以下の引用をもってこの記事を終わりたいとおもいます。

お読みいいただきありがとうございました。

[T]he costs to the entire healthcare system are higher when interpreters are not used. When language barriers are present, medical errors are more common...when language barriers exist and no interpreters are available, healthcare providers are more likely to order expensive diagnostic tests to determine what is wrong with patients and monitor their care for longer periods than necessary, resulting in excess spending.

(筆者訳:通訳を使った時よりも、使わなかったときのほうが医療システム全体のコストが高くつく。それは、言葉の壁があるときには、医療ミスがより起きやすいから。(中略)[さらに]言葉の壁があり、通訳者が手配できないときには、医療従事者は患者の問題を特定するために高額な診断テストを施したり、必要以上に長く経過を看たりする傾向が強いため、結果としてコスト超過を招く。)