ラグビーワールドカップ2015も終わり、4年後は日本大会ですね!
ニュージーランドの優勝、オーストラリア準優勝、3位は南アフリカでした。
今大会は日本チームが初戦の対南アフリカ戦から奇跡的な活躍をして、非常に見ごたえがありました。
感動の大躍進を果たした日本代表。その勇姿を見られたことは、自分自身に喝を入れ、奮い立たせるきっかけになり、大きな刺激になりました。
また、近年、国際社会における日本の存在感が急激に薄れていくのを、個人的にも目の当たりにしてきただけに、外交下手で気弱な日本の面目躍如!と、本当に気持ちよかったです。
さて、そんなことを言っている私ですが、じつはラグビーのルールがわかりません…。
一生懸命画面に食い入るようにして見ることは見るのですが、雰囲気にのまれて、それなりに盛り上がるのですが、じつはよくわかっていない…。
ラグビーワールドカップ、今回はイギリスでの開催ということで現地で通訳をしている同僚・先輩たちもかかわった人が数名いて、かなりエキサイティングな体験談も耳にしています。
私も直接2015年の大会にかかわったわけではないものの、2019年に向けたラグビー関連の案件は依頼を受け、幾分、親近感がわいています。
ラグビーをはじめとするスポーツにおける通訳経験と言えば、わたしはそもそも初めての通訳経験がスポーツだったのを思い出しました。
初めての通訳のお仕事は、99年のバレーボール・ワールドカップ、名古屋で行われた女子大会でした。来日していた大会役員・委員のうち、医療を担当していた役員のアテンド通訳を担当しました。
アテンド「通訳」と言ってはみましたが、それまで通訳という仕事は自分の視界に入っておらず、当然経験もなければ、訓練も受けていませんでした。
そもそも引き受けるつもりはなかったのですが「海外から代表団がやってくる、団体なので人手が足りない、経験がなくてもいいから手伝って!」という友人からの頼みだったんです。
「ちゃんとした通訳が必要な会長とか副会長は、経験豊富な通訳さんに頼むから大丈夫!だからお願い」と泣きつかれ、複雑な心境で現場に向かったのを覚えています。
ここでの経験があったからこそ今の私があるんだなぁ、と思います。
自分で言うのもなんですが、いろんな意味で面白い経験だったな、と。
現場での通訳体験もさることながら、いろんな意味で面白い経験だったとおもった事柄の一つとして、まず、当時デビューしたてだったジャニーズのグループ「嵐」のお話しをしようと思います。
1999年のバレーボールワールドカップ。人気グループ「嵐」がデビューしました。
彼らの華々しいデビューの裏側で、冷や汗をかきながら私は通訳デビューしました。
デビューはデビューでも随分差がありますねw…。
この「嵐」のデビュー、日本チームの試合があると毎回出入り口から嵐の面々が派手に登場するんです。V6坂本くんがコートの向こう側で司会みたいな、応援団長みたいなことをしてましたね。
今でこそ「嵐」のメンバーの皆さんも立派な成人男性、何本もレギュラー番組を持つ人気グループですけれど、当時はまだまだ…。なんていうか華奢で、なんていうか、こう言うのも何ですが、かっこいいというより、かわいらしい。男子というよりむしろ女の子かしら、という感じでしたよ(ごめんなさい)。
デビュー当時の年齢を調べたら16~19歳だったようなので、そんなはずはないのですが、スラリとしてて、もう、とにかく、男子高校生あたりのむさくるしさからはほど遠い、もしかしてまだヒゲだって生えてないんじゃないか、というような印象でした。
ほぼ毎日「あらしぃ、あらしぃ♪」でした。今でもあの歌は覚えてます。
各国チームの選手も同じだったのか、その歌を口ずさんでいる選手もいました。とくに、ブラジルの人気選手レイラ・バロスなんかは、しょっちゅう鼻歌みたいに歌ってましたね。当時、レイラはとっても人気がありましたよね。
通路を通るときに歌ってるんで聞こえてくるんです。
それにしても、バレーボール選手って背が高いw
レイラはすごく身長があるわけじゃなかった気がするけど、ロシアのチームが高かったなぁ、ずらっと並んで歩いてくると、まるで柱が何本も横に並んでこっちに迫ってくるみたいで、すごい迫力でした。
(次回に続く)
感動の大躍進を果たした日本代表。その勇姿を見られたことは、自分自身に喝を入れ、奮い立たせるきっかけになり、大きな刺激になりました。
また、近年、国際社会における日本の存在感が急激に薄れていくのを、個人的にも目の当たりにしてきただけに、外交下手で気弱な日本の面目躍如!と、本当に気持ちよかったです。
さて、そんなことを言っている私ですが、じつはラグビーのルールがわかりません…。
一生懸命画面に食い入るようにして見ることは見るのですが、雰囲気にのまれて、それなりに盛り上がるのですが、じつはよくわかっていない…。
ラグビーワールドカップ、今回はイギリスでの開催ということで現地で通訳をしている同僚・先輩たちもかかわった人が数名いて、かなりエキサイティングな体験談も耳にしています。
私も直接2015年の大会にかかわったわけではないものの、2019年に向けたラグビー関連の案件は依頼を受け、幾分、親近感がわいています。
ラグビーをはじめとするスポーツにおける通訳経験と言えば、わたしはそもそも初めての通訳経験がスポーツだったのを思い出しました。
初めての通訳のお仕事は、99年のバレーボール・ワールドカップ、名古屋で行われた女子大会でした。来日していた大会役員・委員のうち、医療を担当していた役員のアテンド通訳を担当しました。
アテンド「通訳」と言ってはみましたが、それまで通訳という仕事は自分の視界に入っておらず、当然経験もなければ、訓練も受けていませんでした。
そもそも引き受けるつもりはなかったのですが「海外から代表団がやってくる、団体なので人手が足りない、経験がなくてもいいから手伝って!」という友人からの頼みだったんです。
「ちゃんとした通訳が必要な会長とか副会長は、経験豊富な通訳さんに頼むから大丈夫!だからお願い」と泣きつかれ、複雑な心境で現場に向かったのを覚えています。
ここでの経験があったからこそ今の私があるんだなぁ、と思います。
自分で言うのもなんですが、いろんな意味で面白い経験だったな、と。
現場での通訳体験もさることながら、いろんな意味で面白い経験だったとおもった事柄の一つとして、まず、当時デビューしたてだったジャニーズのグループ「嵐」のお話しをしようと思います。
1999年のバレーボールワールドカップ。人気グループ「嵐」がデビューしました。
彼らの華々しいデビューの裏側で、冷や汗をかきながら私は通訳デビューしました。
デビューはデビューでも随分差がありますねw…。
この「嵐」のデビュー、日本チームの試合があると毎回出入り口から嵐の面々が派手に登場するんです。V6坂本くんがコートの向こう側で司会みたいな、応援団長みたいなことをしてましたね。
今でこそ「嵐」のメンバーの皆さんも立派な成人男性、何本もレギュラー番組を持つ人気グループですけれど、当時はまだまだ…。なんていうか華奢で、なんていうか、こう言うのも何ですが、かっこいいというより、かわいらしい。男子というよりむしろ女の子かしら、という感じでしたよ(ごめんなさい)。
デビュー当時の年齢を調べたら16~19歳だったようなので、そんなはずはないのですが、スラリとしてて、もう、とにかく、男子高校生あたりのむさくるしさからはほど遠い、もしかしてまだヒゲだって生えてないんじゃないか、というような印象でした。
ほぼ毎日「あらしぃ、あらしぃ♪」でした。今でもあの歌は覚えてます。
各国チームの選手も同じだったのか、その歌を口ずさんでいる選手もいました。とくに、ブラジルの人気選手レイラ・バロスなんかは、しょっちゅう鼻歌みたいに歌ってましたね。当時、レイラはとっても人気がありましたよね。
通路を通るときに歌ってるんで聞こえてくるんです。
それにしても、バレーボール選手って背が高いw
レイラはすごく身長があるわけじゃなかった気がするけど、ロシアのチームが高かったなぁ、ずらっと並んで歩いてくると、まるで柱が何本も横に並んでこっちに迫ってくるみたいで、すごい迫力でした。
(次回に続く)